2016年8月29日月曜日

聖誕祭2016「Legend」




本日、8月29日はマイケル聖誕の日。
現地での生誕の瞬間(日本時間8月30日午前10:33)も
あとわずかです。
今年はInvincible期(今回は2004年まで)以降を
Legend期とし、Birthdayはこの時期の写真を紹介したいと思います。












































































































































2010年から誕生日に合わせてたくさん写真をアップしようと思ったのは、Invincible期以降のマイケルが、本当はこれまで以上に素敵で、彼の顔がひとりの人間とは思えないほど変化したのは、整形手術以上に、彼自身の内面によるものだったという驚きからでした。

2013年は少年期を、2015年は「Jackson 5」から「THIS IS IT」まで、ここにアップできなかった写真も含めて、膨大な写真を1枚1枚撫でるように見ていると、私の中ではますます彼が生きているというか、マイケルのレジェンドとしての輪郭がより鮮やかになっていくような気がします。

今年は、デヴィッド・ボウイやプリンスも旅立ち、彼らの写真を見る機会も増えました。

プリンスは、2009年以降も創作意欲に衰えを見せることなく、アルバムはより膨大な枚数になり、毎回趣向の違うライブや、他のアーティストのプロデュースも、何もかもが精力的で、プリンスの写真はMJと違ってアーティスト活動やパフォーマンスを捕らえたものが多い。

でも、MJの写真を見ていると、パパラッチに撮られた写真や、記念撮影に応じたものは特にそうだけど、どこか「未完成」なところが気になって、絵画を修復するように、欠けている絵の具を少しだけ足したくなるというか、あるべき姿に直して整理して、展示されなくてはならないような思いに駆られてしまう。誰よりも「完璧」を見せてくれたマイケルだけに、少しの傷が気になるということもあるのかも。

プリンスがいつでも「プリンス」だったり、サルヴァドール・ダリが「ダリ」を演じているように、アーティストが天才として認められるのは、「自分の理想とするアーティスト像」をどれだけ完璧に演じられるかにかかっている。ただ、マイケルの理想像は、そういった天才アーティストたちのやり方とは少し違っていたように思う。

デヴィッド・ボウイは、幾つもの架空のキャラクターを造り、マイケルも演じたかったエレファントマンや、宇宙人、ヴァンパイアの演技で高く評価されたけど、彼の変化に驚いた人がどれだけいただろう。「Changes」を、本当にやってのけたのは、マイケルの方だった。


マイケルの変化は、ボウイが変わろうとしたこととは少し違う気がする。

どれだけの楽器を演奏できるの?と聞かれて、プリンスが「千」と答えたように、マイケルの内には元々「千の顔」があった。

それは、世界で一番愛されることに繋がった一方で、彼には、人々の内にある不安や疑惑や嫉妬といった様々な感情も投影されることになり、マイケルが旅立つと、周囲にいた人々も、それぞれが見た彼の真実を言わずにはいられなくなった。マイケルが、圧倒的に「不世出」だと思えるのは、そういった感情すべてを受け入れたところにあると思う。

20代の彼が「スリラー」で自覚し、40代のときの「スレテンド」で、さらに確信したように、マイケルは天才と言うより、「モンスター」を目指していた。


彼が常に一緒にいたいと思っていた子供たちも大人にはないモンスター性がある。老人の知性と、子供の無邪気さ、あらゆる動物と宇宙人やロケットや宇宙船・・それらすべてが一体化したようなモンスターは、きっとマイケルが子供の頃から交信してきた「神」に近いものだったと思う。Invincible以降、MJがときおり見せた「未完成」は、「未知」のものでもあったのだ。






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